ジュエリーと宝飾芸術の学校「レコール」は、ヴァンクリーフ&アーペルのサポートを受け、2022年1月14日から3月13日まで、六本木の21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3 において、イヴ・ガストゥ氏がコレクションしていた息を呑むほどに見事なメンズリングの数々を展示する。
本展では、17世紀のヴェネツィア共和国のドージェ(元首)がはめていたリングから1970年代のアメリカのバイカーリング、古代エジプトのリングから19世紀の“メメント・モリ”スカルリング、18世紀のエナメルリングから現代アーティストが手がけたリングまで、270点ものリングが一堂に会する。
イヴ・ガストゥ(Yves Gastou)とは
イヴ・ガストゥ氏の名は、1980年代半ばに彼がパリのボナパルト通りに開いたギャラリーが、瞬く間にサンジェルマン・デ・プレ地区を代表する有名スポットとなったことによって広く知られるようになる。
先駆的なアンティークディーラーだったガストゥ氏は、1940年代から1970年代のフランスやイタリアの家具と、ソットサス、メンディーニ、倉俣史朗などの1980年代のデザインを象徴する作品を同時にギャラリーに並べた最初の世代だった。開拓者であり、多少挑発的なところもあったガストゥ氏同様、ギャラリーも、因襲を打破したファサードに、エットレ・ソットサスのサインが入った黒と白のテラゾを使うなど、1986年にエコール・デ・ボザールに隣接してオープンした当時はスキャンダラスな扱いを受けたが、今ではすっかりアイコニックな建物として認知されている
ヴェネツィア元首の指輪
ひときわ高い権力の象徴であるヴェネツィア共和国のドージェ(元首)が身に着けていたリングは、驚くほどに凝ったディテールが目を引く。ベゼルを開くと封蝋を入れておくための空洞があり、これを溶かして陰刻に用いることで、手紙を封印するシーリングスタンプとして使うことができた。この空洞は毒を隠すのにも使われた。ルネサンス期のヴェネツィアでは、東ローマ帝国のビザンチン文化から受け継がれたこのリングの使い方で敵対者を人知れず暗殺することも可能だった。
ガストゥ氏が所有していたメンズリングの類稀なるコレクションは、2018年にパリのレコールで展示されるまで、その存在は秘密にされていた。今回のエキシビションでは、ディーラーとしての側面があまりに有名なため、これまでほとんど知られることのなかった彼の生涯におけるコレクターとしての一面を明らかにすることを目的としている。ガストゥ氏は、30年以上にわたり、トレジャーハンターとしての常道(フリーマーケット、パブリックオークション、宝石商や工房の在庫など)だけでなく、あちらこちらを旅しながら、作品を蒐集し、熱狂的に、危険を冒しながらコレクションを作り上げていった。
死を昇華させる棺の指輪
この指輪は、ホレス・ウォルポールの『オトラントの城』やブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』など、物語の特別な背景としてゴシック様式の建築を登場させる文学ジャンルであるゴシック小説の世界に私たちを誘う。そこでは、幽霊の出る城、墓地、納骨堂、骸骨の死の舞踏が、善と悪の戦いの舞台となり、主人公となっている。その物語を読むことは、死の恐怖を追い払うための集団的なカタルシスにも似ているだろう。このリングは1970年代に作られたもので、バラをふんだんにあしらった棺が飾られている。人生はバラが咲き誇る峡谷のようなものであることを、死が思い出させてくれるという暗示だ。
司教の指輪
司教の指輪には、細かい浮き彫りとともに、キリスト教の図像学に基づく彫刻が施されることが一般的だ。智天使、聖ルカの翼のある雄牛、聖マルコの翼のあるライオン、聖霊を象徴する鳩などが、聖心、麦の穂、3つ葉の十字架と並んでいるのを見ることができる。枢機卿は、自分を任命してくれた教皇の紋章をリングに刻印していた。一方、ローマ教皇自身は、漁夫のモチーフをあしらった指輪を身につける。ベゼルには、舟の中で網を持って魚を釣っている聖ペテロが描かれている。礼拝だけでなく日常生活の中でも着用されるこうした指輪は、ミサや行列の際に手袋の上からも着用できるよう、この指輪のように調節可能になっていることがほとんどである。
英国の哀悼の指輪
このふたつの指輪は、18世紀後半から19世紀初頭にかけてのイギリスにおいて亡くなった人を偲んで着用された哀悼の指輪である。左の指輪はオープンワークのゴールドにカメオを嵌めている。右の指輪は、リングの両肩にパルメットと呼ばれる唐草模様のモチーフをあしらったニエロ象嵌で、ベゼルには人間の髪の毛があしらわれているのが特徴だ。いずれのリングも、この時代の職人技がいかに優れたものであったかを証明している。死が多ければ多いほど、人間は忘却に抗うためにより多くの工芸品を作り出す。
愛する人の死を乗り越えるために、死者に捧げる哀歌や追悼の言葉とともに、こうした哀悼のジュエリーが作られた。16世紀にイギリスで一般に普及し、その後ヨーロッパ大陸にも広まったこうした指輪には、故人の名前が刻まれ、時にはその人の遺髪や肖像画が入っていることもあった。
オルゴールの指輪
この指輪にはオルゴールが組み込まれている。花のモチーフに隠された歯車を回転させることで音が鳴る仕組みだ。肩の部分を男性と女性の2つのカリアティード(人像柱)が飾っている。ゴールドとシルバー製で、19世紀後半に作られたものである。オルゴールが発明されたのは、18世紀後半のことで、ジュネーブのウォッチメーカー、アントワーヌ・ファーヴル(1768 ~1828年)によるものと言われている。最初のモデルは、簡素な円筒形をしており、あらかじめ調音した銅製の板に接続されたピンを備え、それによって音楽が奏でられるといったものだった。しかし、この時代にオルゴールの指輪は見つかっていない。
1802年、スイスのジュー渓谷出身の時計職人、アイザック=ダニエル・ピゲは、この発明をさまざまなジュエリー(指輪、時計など)に取り入れる。彼はまずジュネーブでJ . F .レショー、H.キャプトといったウォッチメーカーの下で働き、1810年にはS.P.メイランに移る。オルゴールは、楽器を演奏できない人が音楽を聴くための唯一の手段だったため、当時とても人気がった。
最新のコレクション情報 URL 2021年12月09日(木)19時16分 編集・削除
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